明治初期、日本人よりも先に外国人の間で有名になったNIKKO
そこに誕生した日本初の西洋式リゾートホテル「金谷ホテル」
その歴史を今日も形として残している「金谷侍屋敷」
日本人特有の外国人へのおもてなしの原点がここにあります

明治時代から外国人に愛された避暑地 NIKKO

日光は明治初期から自然と歴史・文化遺産を兼ね備える避暑地として日本に滞在する欧米人にその価値を高く評価されていました。
そのきっかけを作ったのは1862年に通訳生として来日した英国人アーネスト・サトウです。 サトウは奥日光の美しさに魅せられ、1874年には A Guide Book to Nikko を出版。1896年、中禅寺湖南岸に自分の別荘を建築しました。その後外交官を中心に多くの外国人が別荘を建て、明治から大正末期まで中禅寺湖周辺には欧米人の社交界が形成されていました。

日光金谷ホテル – その誕生

1870年(明治3年)、アメリカ人宣教医ヘボン博士が日光を訪れた際に自宅を宿として提供したのが東照宮の雅楽師を勤めていた金谷善一郎です。日光を訪れる外国人の増加を見越した博士は善一郎に外国人専用の宿泊施設を作ることを進言。この言葉を受けて善一郎は民宿創業を決意し、四軒町(現在の本町)の自宅を改造して、1873年(明治6年)に「金谷カテッジイン」を開業しました。
これが金谷ホテルの始まりです。

1878年(明治11年)ヘボン博士の紹介でカテッジインに逗留した英国人旅行家イザベラ・バードは、著書「日本奥地紀行」の中で日光や金谷家の様子を率直な言葉で綴っています。金谷家の家屋は江戸時代には武士が住んでいたことから外国人客の間ではSamurai House(侍屋敷)と呼ばれていました。140年以上を経た今日まで当時と同じ場所に保存されています。

1893年(明治26年)、善一郎は30の客室を備えるホテル「金谷ホテル」を大谷川岸の高台にオープンさせました。明治、大正、昭和そして平成へと時代が移り変わる中、金谷ホテルは日本最古のリゾートホテルとしての伝統と誇りを大切にし、長年培ったおもてなしの精神を受け継ぎ今日に至っています。

二つの異なる歴史的価値を持つ有形文化財 - 金谷侍屋敷

金谷ホテルの前身「金谷カテッジイン」が生まれた建物は約360年前に建てられた武家屋敷です。140年以上経過した今日、その家屋は当時と同じ場所にほとんどそのままの形で存在しています。それが2014年国の登録有形文化財に指定された「金谷侍屋敷」です。2015年3月に「金谷ホテル歴史館」の名称で一般公開が始まりました。武家屋敷の様相が見られる建築遺産としての価値と日本初の西洋式リゾートホテル発祥の地という全く異なる二つの歴史的価値を持つ稀有な文化財です。

伝統ある「金谷ホテルのパン」を楽しめる - カテッジイン・レストラン

「金谷ホテル歴史館」の隣には、伝統のパンを使ったバラエティ豊かなお料理が自慢の「カテッジイン・レストラン」があります。広々とした店内には歴史を感じさせるセピア色の写真などを展示しています。地元産の新鮮食材を使い経験豊かなシェフが腕をふるいます。

また、金谷ホテルベーカリー(カテッジイン店)およびスーベニア・コーナーも併設しています。小さなお子様連れのお客様用に授乳室も設けています。